プロフィール

伊藤 孝恵 (いとうたかえ)

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経歴


1975年6月30日 名古屋市生まれ
1982年3月 荻須学園ひまわり幼稚園 卒園
1988年3月 犬山市立犬山北小学校 卒業
1991年3月 金城学院中学校 卒業
1994年3月 金城学院高等学校 卒業
1998年3月 金城学院大学 文学部国文学科 卒業
1998年4月 テレビ大阪株式会社 入社
2006年1月 株式会社資生堂 入社
2006年7月 株式会社リクルート 入社
2013年9月 金城学院大学 文学部日本語日本文化学科 非常勤講師 着任
2016年7月 第24回参議院議員選挙 愛知県選挙区 初当選
2022年7月 第26回参議院議員選挙 愛知県選挙区 2期目当選

現職

  • <参議院>
  • 文教科学委員会 理事
  • 予算委員会 委員
  • 地方創生及びデジタル社会の形成等に関する特別委員会 委員
  • <国民民主党>
  • 選挙対策委員長代理
  • 組織委員長
  • 青年局長代理
  • 参議院国会対策委員長代理
  • 子ども・子育て・若者政策調査会長
  • <その他>
  • 超党派ママパパ議員連盟 事務局長
  • 生殖補助医療の在り方を考える議員連盟 事務局長
  • 超党派ネット社会におけるプライバシーの在り方を考える議員連盟 事務局長
  • 金城学院大学 文学部日本語日本文化学科 ゲストスピーカー

これまでの役職

エピソード

エピソード[誕生~幼稚園]

  • 岐阜県下呂市にある下呂温泉病院で小林家の次女として誕生。生まれた瞬間から現在に至るまで常に特大。愛称は父により「たーたん」と命名。四十路を過ぎて、最近さすがにちょっと恥ずかしい。
  • いつもフニャフニャ泣いていたので「フニャ子ちゃん」と呼ばれていた。でも「泣いたカラスがもう笑った!」と言われたら泣き止むことにする、という謎のマイルールがあった。
  • とにかくおませ。叔母の結婚式に向け、自分でカミソリを持って来て前髪をパッツンにしたのは2歳、祖母との別れ際「おじいちゃんによろしく」と小首を傾げてニッコリしたのは3歳。
  • 卒園半年前に名古屋市から犬山市に引っ越す。幼稚園を辞めるか否かを悩む母と担任の先生との愛ある往復書簡は今読んでも泣ける。結局母は毎日3時間かけて車で往復。車中での母との濃密な時間は、シラサギを数えたり、「りんごの唄」や「赤いくつ」を歌ったり、鼻が高くなりますようにと鼻先をつまんだり(効果なし)
  • 初恋は年長組の時。同じさつき組で鼓笛隊も一緒の大ちゃん。でも彼には好きな子がいて、初恋は失恋に終わる。
  • エピソード1
  • エピソード2
  • エピソード3
  • エピソード4

エピソード[小学校]

  • 農家の孫娘なので常に旬のものを食べて育つ。トマトはもいですぐ川の水で洗って食べるもの、タケノコやミョウガは家の裏に自生しているものと思っているので、今でもスーパーで買うのを一瞬ためらう。
  • 母が働いていたため小学1年生から鍵っ子。土曜日は学校から帰ると、母の勤め先の食堂に行ってご飯を食べ、習字に行くのが日課だった。習字は1年生から大学卒業まで続けた。
  • 我が家は箸の持ち方にとても厳しかった。お陰で、小学校で行われる「わりばし豆つかみ大会」では常時優勝。
  • 休日も仕事に行ってしまう父が突然、映画館に連れて行ってくれたことがあった。楽しみにしていた「タッチ」よりも同時上映の「二代目はクリスチャン」の方が面白かった。
  • 小学5年生の時、肺炎で入院。健康優良児だった為か、家でも保健室でも「寝とけば治る」と言われて悪化した。
  • 姉妹で小麦粉を投げ合い、取っ組み合いの喧嘩をしては、母に正座で叱られた。(でも、今も昔も姉の事が大好き)
  • エピソード5
  • エピソード5-2
  • エピソード6
  • エピソード7

エピソード[中学〜高校]

  • 姉の真似をしてバトントワリング部に入部。朝練・昼練・夜間練習で全国大会を目指す6年間。指は折れ、股関節は外れる青春時代だったが本当に楽しかった。バトン部の仲間は生涯の友。
  • 中学1年生でいじめを経験。学校なんて休んじゃえと家族は言ったが、私は頑なに登校。母はそんな娘の頭を毎朝抱きしめて「じゃあ今日1日だけ頑張ろうね」とおまじないのように言った。
  • 中学3年生の時、犬山市の交換留学プログラムでオーストラリアにホームスティ。発音を笑われるのが恥ずかしくて現地の学校ではパンさえ買えずに飢えていた。「This one please.」 が何故言えなかったのだろう。
  • 好きなお菓子を1個買って貰えるので、母の買い物についていくのが好きだった。高校生になっても何となく150円クラスのおかしは買ってはいけない気がして、いつも100円以内におさめていた。あまりに大量に食材を買う母に、近所のおばさんが「おたく馬飼ってるの?」と聞いていたのを覚えている。馬ではなく、よく食べる娘2人の為です。
  • エピソード8
  • エピソード9
  • エピソード10

エピソード[大学]

  • いま考えると、前髪を恥ずかしいぐらい立てていた。
  • 父はボーナスが出ると電化製品を1つ買い、私達姉妹にも服を買ってくれた。実は未だにあの時買ってもらったスーツを(肩パットはとって)着ている。
  • 中学から大学まで金城学院だというと“お嬢様”と言われるが、そうではない。我が家のクリームシチューの具はいつもチクワ。普通は鶏肉なのだと知ったのは社会人になってから。母曰く「だってチクワの方が安いんだもん」しかしこれが意外といける。
  • 父と2人で腕を組んで歩いていたら、父が「彼女と間違われんかな?」と嬉しそうに言っていた。お父さん、それは絶対ありません。
  • リクルートスーツを母と買いに行った際、母は「みんな一緒の紺色のスーツにする必要はない!」と言って、クリーム色のスーツと黄色のスカーフを買ってくれた。就職活動中、ずっと浮いていた。
  • エピソード11
  • エピソード12
  • エピソード13

エピソード[社会人]

  • テレビ大阪入社式の朝、愛知から両親と3人、ライトバンに荷物をいっぱい積んで引っ越しをした、あの早朝の事はきっと生涯忘れない。
  • 記者志望で入社したのに、初配属は営業。ショック過ぎて、入社式の後、急いで家に帰り、突っ伏して泣いた。
  • 営業局の先輩には、礼を尽くし、心を尽くし、責任から逃げずに汗をかくという、仕事をする上での基本姿勢を教えてもらった。初配属が営業で本当によかった。
  • 報道に異動。大阪府警記者クラブのサブキャップに。捜査一課の調査官に「これは男の足か?女の足か?」とバラバラ死体の足の写真を見せられ「女性です。爪がスクエアにカットされています」と答えたら「ほぉ~」と感心された。それ位とにかく女性の視点の少ない職場だった。
  • プロデューサーとしてドキュメンタリー番組を制作「ぼくたちの敗者復活戦~ニート300日の記録~」は、取材対象を街で探してくるところから始めた。「なぜ働かないの?どうして働かないの?」と聞く私に、「じゃあ逆に聞くけど何であなたは働くの?」と問われ、すぐに答えられなかった自分の戸惑いも含めて映像化した。(第1回TXNドキュメンタリー大賞受賞)
  • リクルートに転職。「これぞリクルートという部署で働きたい」と言ったら、飛び込み営業から大手デベロッパーの販売戦略に至るまで、幅広く提案する住宅情報(現SUUMO)に配属された。
  • 初めてチームを持ち、マネジメントを経験。毎日メンバーとガチンコで泣いたり笑ったりしていた。
  • 上司に相談するとまず「で、お前はどうしたいの?」と必ず聞かれる風土。創業者の「自ら機会を創り出し、機会によって自らを変えよ」という言葉そのものの会社は、時に苦しく、常に楽しかった。
  • マーケティング局へ異動。メディアバイイングやゼクシィのコミュニケーションデザインを担当。プロフェッショナルになる為に毎日吐くほど働いた。そうしてついた筋肉でいつか誰かの心を動かす仕事をするんだ!と踏ん張っていたが、夜明けの東京タワーを見て泣いたこともしばしば。
  • 子宮頸がんの前がん状態だと診断を受ける。両親や会社の同僚には伝えず、姉と当時付き合っていた夫にだけ伝えて手術をした。これからの働き方や生き方について考えさせられた時間だった。
  • 私より身長が10センチ低い夫と結婚。背が高いのってイヤじゃない?と聞いたら、いつも空を見上げていられるからいいと言っていた。
  • 不妊治療を経て、2人の娘を授かる。ドリカム(LOVE LOVE LOVE)の「ねぇどうして すごく愛してる人に 愛してると言うだけで ルルルルル 涙が出ちゃうんだろう」の歌詞の意味が今、痛いほどわかる。
  • エピソード14
  • エピソード15
  • エピソード15-2
  • エピソード16
  • エピソード17
  • エピソード18

エピソード[立候補]

  • 日本初の公募による「リクルート在職のまま」「育休中の」国政出馬。会社を辞めて退路を断たない事や、幼い子供を連れての選挙には、沢山の批判があったが、仲間たちがいつも笑顔で、自分たちの選挙をやろうと励ましてくれた。
  • 選挙事務所の外壁には巨大なうさぎの写真が、また中では本物のうさぎ(愛称:たーたん)が走り回っていたことから「うさぎ事務所」と言われていた。
初めまして!ウサギのたーたんです。

リクルート時代(マーケティング局クリエイティブセンター)の後輩が描いてくれた伊藤孝恵事務所公式マスコットキャラクター「うさぎのたーたん」

<何故うさぎ?>
私が1975年生まれのうさぎ年であること。色々な声に耳をそば立てられる、何でもよく聞こえる、大きな耳を持った政治家になりたいという想い。何より志をたてたきっかけが、次女の耳に障がいがあるかもしれないと言われたことだったため。

  • 1歳の次女は授乳中だったが、選挙中に9キロ痩せたこともあってオッパイがとまってしまった。
  • 10万人握手大作戦や、スクランブル交差点3時間ノンストップ握手、名古屋駅~金山駅まで全長5.3キロを練り歩く桃太郎作戦など、仲間たちが企画するのは決まって体育会系の過酷なものだったが、必ず子ども達の寝かしつけまでには帰れるように予定を組んでくれた。(大好きな絵本「さっちゃんのまほうのて」を読みながら毎夜寝落ち)
  • 爆発する天然パーマ頭に耐え切れず「美容院に行きたい」と言ったら「病院に行きたい」に聞き間違えられ、どこだ!どこが悪いんだ!と大騒ぎになった。
  • 選挙事務所にはキッズスペースがあり、ボランティアに来てくれた友人の子ども達が窓にクレヨンでお絵かきをしていた。うさぎ目当てに近所の保育園の子ども達も遊びに来てくれた。
  • 選挙期間中に41歳になった私の為に、仲間たちがサプライズ誕生日会を企画してくれた。娘たちが小さな花束を持って登場した際には涙腺崩壊。「おめでとー!」は万歳の日までとっておくんだと「誕生日がんばろー!」といって祝ってくれた。
  • 誰もが予想していなかったまさかの「20時当確」にみんな泣いていた。みんなが泣いているから、私も涙がとまらなかった。
  • 翌日のメディアは当選について「予想覆す」や「奇跡」「風が吹いた」など、様々な驚きの表現を駆使して報じて下さっていた。
  • エピソード19
  • エピソード19-2
  • エピソード20
  • エピソード21
  • エピソード22
エピソード23